ルールがかわった: 科学者が事業仕分け人を非難するのは妥当か?

メディアに踊らされて、頭に血を上らせる前に、一次情報にあたって考えてみる。

http://www.cao.go.jp/sasshin/oshirase/h-kekka/3kekka.html#1113

いまだかつてない程、オープンかつナイーブに議論された科学関連予算。評価コメントを見る限り

  • 制度が悪い
  • 説明が不十分
  • 過去の結果の評価/将来の課題の審査が不明確
  • うたっている目的と内容が違う

というのが主なところ。つまり、研究内容についての評価というよりは、制度設計、そして説明の不明確性が批判を浴びている(ポスドクへの誤解を除く)。この理解からすると、下記で書かれている記事が比較的、真実に近いものと推測することができる

(by paco)行政刷新会議事業仕分けのメディアと実際の違い
http://www.chieichiba.net/blog/2009/11/by_paco_113.html

「仕分け人を納得させる責任は官僚側にある」というふうにルールがかわったのであれば、科学者は「事業仕分け人」を攻撃するのではなく、説明にあたった側(官僚)をなんとかすべきなのではないだろうか?内容ではなく、制度と(仕分け人に対する)説明不足が非難をあびているわけなのだから、とるべき対策はむしろ

  • 制度を見直す
  • 政治に対する説明責任を強化する

の二点がまず考えつく。とすると、文科省に意見するというよりはむしろ、科学者コミュニティが結束し、自ら制度を設計(修正)し、政治と対峙するところまでコミットしないといけないのではないだろうか?分子生物学会やJSBiが、文科省へコメントを送るよう推奨しているのは、逆に責任回避なのではないか?長い目でみると、科学者コミニティを代弁できるようなロビイストや団体(AAASですね)を作り、そこから制度/官僚/政治にコミットする、というのがたぶん抜本的な解決法。

じゃ、短い目でみたときの最良の解決法については...よくわからない。いずれにしても、文科省中川正春後藤斎さんに対して「科学の重要性をわかっていない」なんて言っても無駄だというのは想像できる。彼らはちゃんとわかっているはずで、そのロジックが仕分け人に理解されずに苦しんでいるわけなんだから。むしろ「ちゃんと説明してくださいよ」と言う方がまだましなんじゃないか。

事業仕分け人、というレフリーからついたコメントについて、真摯にレスポンスするのであれば

  • 指摘された制度のうち、見直すことのできる部分は全力で見直す(官僚/科学者コミュニティ一丸となって)
  • 科学/研究/投資というものの重要性(日本全体の経済や生産性の根本を支えるものであること)/継続性(一度遅れた研究は、取り戻すのにはかりしれないお金と労力を使う)を強調しつつ、
  • なんとかもう一度だけ説明する機会を政策決定の場で得、
  • きちんと説明責任を果たす

というのが王道なんだろう。このハンドリングをするよう求める先としては、文科省がいいのか?分生の理事長がいいのか?